伝えたい「蔵」の記憶(369)丸三鶴屋スーパーコーナー
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2021.3.8
新しい小売業態であったスーパーマーケットの言葉を日本で初めて店名に使ったのは、昭和28年東京青山の「紀ノ国屋」ですが、その後、昭和31年西武ストアー(西友の前身)同32年主婦の店ダイエー薬局(ダイエー1号店)、同36年イトーヨーカ堂などがオープンします。消費者に歓迎された低価格、大量販売のスーパーマーケットは小売業界に刺激を与え流通革命の言葉が生まれます。
昭和37年11月14日釧路新聞の巷論は、「最近の商店経営の中で最も大きな反響をまき起こしているのが、スーパーマーケットあるいはセルフサービス方式の店である」と指摘し、「釧路の小売店は旧来の殻を脱し時代の動きに対処しなければ経営の危機は深刻になる」と新しい小売形態を提言しています。

写真は、昭和38年9月20日の釧路新聞に掲載された丸三鶴屋のスーパーコーナーの広告です。広告は、スーパーコーナー3原則として、「安さ・楽しさ・手軽さ」を訴えています。「鶴屋のスーパーコーナーは特売売場と違います、包装紙はありません、入口にあるカゴを持ってその中に品物をどんどん入れてかまいません、包装する時間も、係の人を待つ時間もいりません」などとセルフサービスのシステムを説明しています。
顧客が商品を選びレジでまとめて清算するシステムは、現在では当たり前のことですが、百貨店の伝統的な対面販売方式に慣れ親しんだ消費者も「戸惑いを解消して買い物を楽しんで下さい」と呼び掛けています。鶴屋のスーパーコーナー開設は、市民生活と北大通り商店街に斬新な刺激を与えた記憶を伝えています。




