伝えたい「蔵」の記憶(355)春採湖の会発足
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.10.26
昭和30年代後半の釧路は、漁業、石炭、紙パルプなどの活況により人口の急増が続き37年には、待望の16万人を記録して活力ある発展が続く青年都市と呼ばれます。同38年4月には「釧路市総合計画」が発表され、これからの躍進都市釧路の構想が伝えられ、市民生活は夢が膨らんだ時代を迎え、市民の文化活動も夢が広がる活動が見られました。

写真は、汚染された春採湖の自然復元を市民運動で取り組む「春採湖の会」の発足を報道する昭和38年6月16日の釧路新聞です。かっての春採湖は、天然記念物のヒブナをはじめウナギ、ウグイが生息する景勝地でしたが、春採湖の会は、「このままでは枯死は必至」と自然環境の悪化を懸念し、「春採湖を昔の姿に戻し緑豊かな釧路市の中心公園にする市民運動を起こした」と報道しています。
春採湖の会の発足は、「死んだ春採湖」を生かし「未来像を市民と共有したい」と釧路考古学研究会が中心となり、春採湖保勝会の発足が契機となりました。
昭和38年9月27日の釧路新聞は、春採湖の会代表佐藤直太朗さんが春採湖の汚染原因である「汚水を流さないで」と、市、市議会、太平洋炭砿へ陳情したことを伝えます。10月3日には、丸三鶴屋で開催された「春採湖展」に資料展示した湖陵高校生物部の取り組みなどを紹介し、春採湖の会のエネルギッシュな活動を報道しています。
春採湖の会の発足は、躍進都市を支える経済活動が優先される時代にあって、多くの市民が参加して市民生活が求める新しい文化活動を芽生えさせた記憶を伝えています。




