伝えたい「蔵」の記憶(350)昭和37年のサンマ
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.9.7
幣舞橋河畔に係留された、全国から集まった数百隻の漁船群は、急速な発展を続ける昭和30年代の釧路の活況を支えます。幣舞橋河畔が漁船で一番賑わうのが、8、9、10月のサンマ、イカの漁期で、幣舞橋を歩きながら眺める光景に多くの市民に感激と活力を与えました。

写真は、昭和37年夏頃の釧路川を埋め尽くす、棒受け網漁法のサンマとイカ釣りの漁船群です。戦後の釧路の漁業は、同24年から28年のサバ大豊漁に沸いたサバブームに続き、同30年から37年にサンマの豊漁を迎えます。8月中旬サンマは北海道沖が漁場となるので、数百隻の漁船が解禁当日の早朝に出漁する風景は「釧路ならではの風物詩」と釧路市史が記述し、釧路川河畔はサンマ、人、トラックが溢れる活力ある光景が連日見られました。
サンマの水揚量の推移を見ると、昭和30年2万5553㌧、34年3万5715㌧、35年1万7425㌧、36年2万3671㌧、37年2万9424㌧を記録し、その後減少します。豊漁が続く37年のサンマ漁の様子を伝える釧路新聞の記事は、9月17日「大漁貧乏の憂い」9月16日「一斉に沖止め」9月25日「陸揚げ、市場処理中止」10月3日「また水揚げ停止・獲れすぎるサンマ」と豊漁を報道しています。
秋の味覚を代表する大衆魚のサンマは、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」や落語の「目黒のサンマ」と庶民の味として最も親しまれた魚です。豊漁のサンマは、食卓を賑わせる市民生活の味方ですが、街路にもサンマが氾濫する光景は社会問題となりました。
昭和37年のサンマは、街に活力を与え、「魚の街釧路」の発展の記憶を伝えています。




