伝えたい「蔵」の記憶(347)釧路空港の開設
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.8.10
昭和30年代の釧路は、副港が完成して活況を呈する漁業、増産に取り組む石炭、本州製紙釧路工場が完成した紙パルプと、主要産業の国内経済の発展により同36年の人口は15万3929人と急増が続き、さらに同年8月1日完成の釧路民衆駅、同年4月1日に始まった北大通都市改造事業と、道東の拠点都市として都市機能の近代化が進みます。
この中で、昭和36年5月12日の釧路新聞が、「文字通り道東の空の玄関口」の見出しで、釧路空港の開港式と祝賀会を報道しています。余塵三十年(釧路新聞)は、「民衆駅と釧路空港のオープンは、空陸の玄関も近代都市並となり、釧路っ子を喜ばせた。浜釧路駅が黒金町から幸町に移り以後の都市づくりに大きなプラスだ」と評価しています。

写真は、昭和44年頃の釧路空港と丘珠飛行場を結んだ北日本航空のコンベア機と搭乗客を迎える釧路空港です。
釧路空港は、市街地から32㎞、標高100m、海岸から5㎞の釧路市大楽毛鶴丘に開設し、旅客輸送は昭和35年10月より北日本航空により運航された。札幌・釧路間3往復であったが、霧の最盛期の6~9月の就航率が73%で定期性に欠け「悪評であつた」と開港当初の様子を釧路市史が記述しています。
昭和30年代は国内経済の活況により道東の拠点都市釧路に於いても、自動車が急増し、同37年10月には釧路~函館間・特急おおぞら号が運転を開始し、釧路港の中央埠頭建設などもあって陸上、海上の交通運輸も新しい時代を迎えますが、空の玄関口の釧路空港の開設は、道東の拠点都市へ躍進する釧路の記憶です。




