その他 蔵の記憶
公開:2026/03/12 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(345)戦後の映画館

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2020.7.27

 戦後の釧路の映画館は、市民生活に潤いと活力を与え、新しい文化を伝えます。同時に復興に取り組む人々に多くの思い出を残し、末広町などの繁華街の賑わいを支えています。

 終戦の年の昭和20年12月26日の北海道新聞は、釧路劇場の開場披露興行「楽団平和」と日活館の映画「海の呼ぶ声」の映画広告を掲載。翌年の同21年4月18日の北海道新聞には、百貨店丸三鶴屋の文化シネマ(後の東宝劇場)開設を報道します。さらに翌22年1月1日の映画広告には国民劇場が登場し、このように戦後の混乱にも関わらず逞しく映画館が再開しています。

 当時の映画館の様子は、「娯楽に飢えた市民はステージの明るさと、疲弊した精神の回復を映画に求めて映画館へ殺到した」と市民が同42年5月30日の釧路新聞で回顧しています。そして同26年の映画案内は、鳥取劇場、国際シネマ、オデオン座、名画座が見られ、日活館が東映劇場に名前を変更して市内の映画館が8館に急増して映画の黄金時代のスタートを感じさせます。 

 昭和32年は、日本映画の絶頂期と言われています、写真は、昭和32年8月30日の釧路新聞に掲載された、映画「挽歌」の特別前夜祭の広告です。挽歌の観客が3万人を超えると釧路新聞が報道しています。

映画「挽歌」特別前夜祭の広告

 映画が黄金時代を迎えた昭和31年の釧路の映画館は、末広町に釧路劇場、釧路東宝、オデオン座、釧路東映、セントラル劇場、映画劇場。南大通りに釧路南映、グランドシネマ。駅裏方面に日本劇場、パール座、北映と末広町を中心として14館が興行しています。

 市民生活に溶け込んだ戦後の映画館は、多くの市民の記憶に残ります。

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