伝えたい「蔵」の記憶(321)白樺団地
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.12.23
戦後の市民生活の復興を見ると、衣料と食糧は数年で徐々に緩和されますが、住宅は人口の増加も伴い「住宅の供給は常に不足を埋める事が出来なかった」と、戦後の住宅困窮を釧路市史が記述しています。
昭和20年代から30年代の釧路市人口の増加は、石炭・漁業・紙パルプの主要産業の活況により転出者より転入者が多くなり人口急増が続きます。同33年から同35年までの3カ年に住宅事情解消のため、春採湖畔に道営、公営あわせて400戸の望洋団地が完成しますが、人口増加に追いかけられていました。
釧路市は、昭和36年度を初年度とする「住宅建設5ケ年計画」をたて、実現に努力します。厳しい住宅状況解消のため、すでに同34年、白樺団地造成の準備をスタートさせており、同36年団地の基本計画が出来上がって白樺団地(市営住宅)の建設が始まり、同45年10月3日には竣工します。

写真は、昭和47年の市勢要覧に「8千人が生活する団地」と紹介され、公営住宅、分譲住宅、公園、小学校が計画的に配置された白樺団地です。釧路市の調査で同35年の住宅不足数は6000戸と推定し、「白樺団地は理想的な『住宅団地』造成の試金石となった」と釧路市史に記述しています。
白樺団地造成は、天然樹林に覆われた起伏の多い土地約25万坪を買収し、昭和36年度の公営住宅から建て始めます。公営住宅962戸、特定分譲住宅102戸、分譲地571戸、計1635戸の計画で、都心から7㌔離れた地に新しい街が誕生するスケールの大きい事業です。
白樺団地は、住宅難解消に取り組む活力ある市勢と市民生活に夢と希望を与えます。




