伝えたい「蔵」の記憶(318)昭和35年の釧路市の人口
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.11.25
戦後の釧路市の人口は、増加の一途をたどり、昭和35年の国勢調査においては、15万624人を記録し、増加率は札幌市の22.8%を抜き26.0%を記録して全道で最も高く、全国では第6位の高率を示しています。

写真は、昭和38年の釧路市市勢要覧に掲載された同35年国勢調査からみた人口10万以上都市の人口増加率(昭和30~昭和35)のグラフです。豊中市、川崎市、武蔵野市など大阪府、東京都、神奈川県などの大都市圏の都市の中に北海道の釧路市と札幌市が見え、釧路市の人口急増の様子を伝えています。
人口急増の要因は、戦後復興期の釧路は、漁業、石炭、紙パルプの基幹産業の活況により北海道内や東北、関東地方などからの転入者数が転出者より多い社会増が続き、人口受け入れ都市の役割を果たしています。
急激な人口急増は、深刻な住宅難と市街地の拡大による街並みの変化が見られます。昭和35年頃の釧路市街地は、太平洋炭砿を中心にした石炭の街、釧路駅と釧路川の河口を中心にした漁業、商業、交通、運輸サービスなどの集まる市街地、十条製紙会社(現日本製紙)を中心とした紙の街に分けて見ることが出来ます。
当時の市街地拡大の様子を釧路新書「戦後史ノート」は、「石炭の街の炭砿住宅は春採下町から桜ケ岡へ拡大され更に益浦まで延びた。釧路駅裏からの鉄北一帯にかけては旧鳥取地区の区画整理事業が追い付かないほど宅地開発が盛んになる」と記述しています。
昭和20年の人口5万833人が同35年には15万624人と約3倍に急増した人口は、道東の中核都市釧路へ発展する躍進の記憶です。




