伝えたい「蔵」の記憶(300)昭和17年の丸三鶴屋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.7.8
丸三鶴屋五十年小史は、「昭和12年7月支那事変勃発して戦時色愈々濃厚となり物価高騰となりこの頃より国内一般消費抑制の諸政策の外、戦時立法続々施行。昭和13年9月の物価停止令、昭和14年の価格統制令、昭和16年の贅沢品製造販売禁止令…」と記述して、戦時体制の中で消費生活の厳しさが増している様子を伝えています。

写真は、太平洋戦争に突入した昭和17年5月24日の釧路新聞に掲載された丸三鶴屋の広告です。統制経済が強化され商品の流通が困難となり販売する商品の確保に苦難している様子を伝えています。広告は、貯蔵に耐えて栄養が失われない、新鮮さを保つ「乾燥野菜(ほしやさい)」を強調するとともに、「熱暑の戦線へ慰問品を送りましょう」と「皇軍慰問品売出し」を呼び掛けています。
日本軍の戦局は、昭和17年1月にフィリピン、マレー半島、3月にインドネシア、ビルマを占領して東南アジアを制圧して初戦の勝利に国民が感激していた時で、広告は南方の戦局の一方で、国民が耐乏生活にあることを伝えています。
さらに戦局は、昭和17年6月のミッドウェー海戦の日本軍の惨敗により一変し、市民生活も衣料切符制度実施と戦時統制により一層厳しさを増し、業務不能のため廃業する商店が続出します。
昭和17年の丸三鶴屋は、関連会社の丸三両角商店が国家の政策により廃業に至り商業環境の悪化が進展します。配給商品減少、衣料切符点数の引き上げ、店員の徴用、幹部の時局産業への転出などにより百貨店経営は「最早絶望かと思った」と両角栄治さんは当時の厳しい商況を著書「落葉」に記述しています。




