その他 蔵の記憶
公開:2026/03/10 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(288)挽歌

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2019.4.1

 昭和30年頃の釧路は、躍進釧路を目指して熱気溢れる活力ある街でした。当時の釧路の街は、母船式サケ・マス船団基地、スケトウダラの豊漁の漁業を中心に石炭、紙パルプも活況を呈し、繁華街末広町の夜の明るさがサンマの集魚灯より明るいと言われるくらい、一日中街に活気が溢れていました。

 昭和30年6月から同31年7月までガリ版刷でワラ半紙の同人誌「北海文学」が連載した原田康子の「挽歌」が同31年12月に東京の東都書房から刊行されます。

 1冊500円の定価。70万冊が一気に売れたとされています。戦後初めて70万部を突破した「挽歌」はその後も支持者が多く、今でも静かなベストセラーが続き、「数字を把握することがむずかしいほどの売れ行き」(鳥居省三戦後史ノート)と挽歌のベストセラーの様子を記述しています。  其の後、挽歌は映画化されて昭和32年8月31日釧路劇場で上映されます。映画「挽歌」は全国で大ヒットし、挽歌族、挽歌スタイルの流行語が生まれます。

「挽歌」の映画ポスター

 写真は、主役の久我美子が白樺林にたたずむ「挽歌」の映画ポスターです。昭和32年6月から釧路でロケが始まり、喫茶ダフネ、挽歌坂(相生坂)、建築家桂木の事務所の農業会館、挽歌橋などで撮影が行われ、多くの市民が熱狂したと、今でもロケの様子を語り伝えられています。挽歌は、北海道の東の不毛の湿原に囲まれた魚の匂いが漂う小さな街釧路を、原始のロマンが漂う霧むせぶ街として全国に印象付けました。

 挽歌は、復興期から躍進釧路を目指す釧路市民に次代への文化を伝えた記憶です。

前「釧路新聞創刊」    次「挽歌の街並み」

TOP