伝えたい「蔵」の記憶(276)北洋サケマス出漁
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.12.17
戦後千島、樺太の漁場を失った日本の漁業は、釧路沖漁場をはじめとする太平洋岸の東北・北海道海域が重要な漁場となり、釧路は北洋漁場の重要な基地として、鯖旋網漁業と鮭鱒流網漁業で役割を果たします。豊富な魚群を目指して全国から漁船が集まり、昭和24~26年にサバの豊漁が続き、釧路はサバブームにより漁業ばかりでなく街全体が活況を呈し戦後復興を加速させます。
昭和27年3月30日の北海道新聞は、釧路水産業の焦点となっていた北洋サケマスの出漁問題が解決し「北洋出漁きまる」と報道しています。北洋サケマス漁業は、戦前にカムチャツカ、千島を主要漁場として行われていたものの、戦後この漁場を失いますが、昭和27年日米講和条約後に再開されます。

写真は、多くの人々の見送りを受け釧路港から戦後はじめて北洋サケマス独航船が出漁する光景です。独航船は、千代喜丸、金勢丸と釧路市史に記述されていますが、かつての千島やカムチャツカと漁業環境が違い、独航船の「採算割れのリスクが懸念されている」と報道されていますが、念願の出漁に夢を託くす釧路の漁業者の気迫が伝わります。
母船式サケマス漁業は、日魯漁業、大洋漁業、日本水産3社の3船団と独航船50隻で昭和27年5月5日から7月11日まで67日間実施され復活します、同29年から本格的操業が始められ、同32年には16船団と独航船500隻を記録しています。
釧路港からの北洋サケマス独航船出漁は、戦後の北洋漁業への夢の実現であり、其の後の北洋漁業の活況と水揚げ日本一を記録する水産都市釧路の記憶です。




