その他 蔵の記憶
公開:2026/03/09 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(269)春の釧路名物

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2018.10.15

 昭和27年3月4日の十勝沖地震の復興に取り組み、春の催事の卒業・入学式が終わり一息ついた年4月7日の北海道新聞が、「春の釧路名物」を報道しています。

砂ぼこり舞う幣舞橋の記事

 写真は、幣舞橋の橋上を、砂ほこりを舞い上げて走るバス、舞上がった砂ほこりを頭からかぶり歩く市民の様子を紹介し、「歩くのに一苦労」の見出しで春の釧路名物に悪戦苦闘する市民生活を伝えています。

 春の釧路の道路は、雪解けと共に雪に隠されていた、冬の生活の跡を伝える「石炭がら」「馬糞」と「雪解けの土砂」などがあちらこちらに見られます。春の陽射しで乾燥した路上の塵が春風に舞い上がり釧路の春の訪れを伝えます。

 余塵三十年(釧路新聞社)の昭和30年4月5日付に掲載されたコラム「馬糞に鈍感な馬方さん」は、「街中で見られる馬の生理現象を見つめる馬方と馬の情景は微笑みを感じさせるが、路上に点々と馬糞が転がっている光景は街中の何処でも見られ、気候が良くなり空気が乾燥すると、馬糞が風に舞い上がり公衆衛生上よろしくない」と、当時の公衆衛生に提言していますが、昭和27年市勢要覧の車両運搬は、貨物自動車869台、馬車558台と記録されています、実情は馬車運搬が市民生活を支えています。ちなみに余塵三十年「馬糞に鈍感な馬方さん」のコラムの中に札幌市の一日の馬糞量は4千貫とあり、戦後の馬車と市民生活の状況を記述しています。

 春の釧路名物は、散水車で対応しますが、人口の急増と産業の活況に追い付かない復興期の生活環境の記憶です。

前「交通地獄クシロ」    次「市制30周年飛躍の釧路」

TOP