伝えたい「蔵」の記憶(250)歓楽街復興
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.4.30
昭和26年の釧路市民生活は、朝鮮戦争特需を契機とする国内経済の活況と、サバの豊漁による漁業の活況、太平洋炭砿の石炭に増産により力強さを感じさせます。

写真は、昭和26年1月1日の北海道新聞に掲載された華やかな飲食店の年賀広告です。同じ紙面には、丸三鶴屋、丸ト北村呉服店などの商店街の初売りと釧路劇場、東宝など正月興行の映画館の案内が掲載され、賑わいが新聞紙面に溢れています。
広告を見ますと、浦見町の料亭八ッ波、なべ専門老松と南大通りの割烹東家は、橋南花柳界の伝統を誇る飲食店です。焼け野原から復興を果たした末広町は、割烹静、割烹喜水、豪華絢爛なカフエー上海、社交の殿堂コロナと新進の意気に燃える飲食店です。ビフテキを売り出した味の店A・1と日本料理とフランス料理のライオンは北大通りに、錦町は中華料理の鳳龍軒と市内の有力な飲食店が名前を連ねています。
これらの飲食店の年賀広告を見ますと、戦後の食糧危機、物不足を乗り越えた逞しさと、戦後復興を感じさせています。北大通り、錦町の飲食店のビフテキやフランス料理、中華料理のメニューは、多くの市民に明るさを与え、焦土から復興した末広町の優雅な割烹、豪華なカフエーは街に活力を、伝統の料亭の味を提供する橋南花柳界は安らぎを提供しています、戦前の釧路の歓楽街が復興しました。
歓楽街の復興は、昭和25年の年末に「貧乏人は麦を食へ」と大臣が発言する厳しい世相の中で、市民生活に憩いと明るさを与え、街の活性に貢献します。




