伝えたい「蔵」の記憶(242)黒ダイヤの石炭
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.2.19
戦後復興期当初の昭和21年4月18日の北海道新聞に「増産の春脚光を浴びる釧路炭田・目指は十倍の増産」の記事が掲載されます。石炭王国の観を呈する釧路炭田の太平洋、雄別、明治などの炭砿の積極的な増産に期待する記事です。
石炭と鉄鋼は、戦後復興の生産活動の原動力に位置づけられ、荒廃した日本経済の回復を図るため資材、資金などの経営資源を重点的に投入する「傾斜生産方式」が実施され、産炭地釧路の戦後復興が力強く始まります。

写真は、昭和21年1月19日の北海道新聞に掲載された太平洋炭砿の「採炭砿員大募集」の広告です。終戦直後のこの年は、「新生日本の始動」「食糧危機突破」「戦災校を速やかに復興せよ」などと混乱の中にも戦後復興への気運を伝える新聞記事が見られる時世でした。その中での鉱員募集広告です。
太平洋炭砿の採炭員募集広告を見ると、「職種採炭夫、募集人員─500名、居住─会社直営の寮あり、赴任旅費─旅費、弁当代、宿泊費など支給」と詳細な要綱が掲載され、「祖国復興は石炭増産から」を謳い、復興と石炭増産へ邁進する力強さを感じさせます。
食糧危機、住宅危機の時代に政府は食糧を確保し、住宅や充実した厚生施設を提供することにより労働力を確保し、復興のエネルギー源石炭増産を図ります。戦後の優良炭砿として再開した太平洋炭砿は、昭和23年の人員が5000人を記録したと伝えています。増産へ取り組む強い使命感をも伝えています。
新聞に掲載された「採炭員大募集」の広告は、戦後の日本経済復興を支えた石炭王国釧路の力強い記憶です。




