その他 蔵の記憶
公開:2026/03/08 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(234)商工復興祭

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2017.11.20

 釧路市民の戦後復興は、虚脱と混迷の状況の中で始まりました。市民生活は、極度の物不足と物価高騰によるインフレの進行の中で、戦災跡地に林立する闇市の出現が物語る様に苦難が続きます。一般住民の生活費の状況を見ますと、戦前の昭和10年は、総所得の42%が食料品でしたが、昭和22年は72%まで上昇し、栄養失調で倒れる人もある貧困さを釧路市史が記述しています。

釧路市商工復興祭の広告

 写真は、厳しい市民生活の報道が多く見られる昭和22年8月3日の北海道新聞に掲載された「釧路市商工復興祭」の広告です。小さな広告ですが、福引大売り出し開催とその加盟店を紹介し、市民生活を支える商業の復興の兆しを感じさせます。二階堂、大谷、金安など時計店、川井眼鏡店、オトヤ楽器店などの加盟店は、その後の北大通り、南大通り商店街の隆盛を支えます。

 戦前戦後の商業は、軍需優先の統制経済による転廃業、戦後の物不足とインフレの進行により商業の本来の自由競争の機能を発揮できない時期が続き商店街の疲弊が目立っていました。商店街の疲弊の様子を北海道新聞掲載のコラム「焦点」は、「店先に箒の跡目ひとつ無く、掘立小屋の物置かケジメがつかないくらい投げやりで整理整頓を忘れた商店街が昨今の商店街」と報道しています。

 商工復興祭は、厳しい商況のなかで疲弊した商店街を復興させる為に、清潔で整頓した店舗と良いサービス、適正な価格情報などを提供し、生活物資の統制と闇商売の横行など苦難が続く市民生活を支える商店街の復興に挑戦する商店街の気迫の記憶を伝えています。

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