伝えたい「蔵」の記憶(226)バラック建店舗
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.9.18
昭和20年7月14日の釧路空襲は、釧路の中心市街地幣舞橋の北橋詰東側一帯を焼け野原と化し、8月15日終戦となり戦後復興が始まります。戦火に耐えた丸三鶴屋が毅然と建っている姿は、戦後復興へ取り組む釧路市民や中心市街地復興の活力になった、と古老が伝えています。百貨店の丸三鶴屋は、終戦翌月の9月に店内焼跡を整理して営業を再開します。

写真は、昭和20年10月末に北大通り5丁目の焼け跡に建てられたバラック建12坪の中山茶紙店の店舗です。「中山茶紙店100年の歩み」には、「同7月14日の釧路空襲により店舗、住宅、小倉庫を全焼し、大倉庫(土蔵)を残し全財産を失い休業する」と記述しています。しかし、終戦の混乱期に焼け野原の広がる北大通り商店街に、戦災からわずか3カ月で営業を再開します。戦時の厳しい統制と戦災を乗り越える気魄は、看板に掲げた創業明治42年の商魂に在るようです。
中山茶紙店は、明治42年5月真砂町(現南大通り)で創業しますが、9月に当時未開地であつた西幣舞(現北大通5丁目18番地)に移転開業をします。大正2年、8年の西幣舞の大火で被災しますが、昭和7年に3階建の店舗を新築して北大通り商店街の中核老舗として商店街の隆盛を支えています。3回の被災を乗り越えようと中山茶紙店は、バラック建店舗、露店、屋台などが並ぶ北大通で戦後復興へ挑戦します。
戦火に被災した北大通り東側商店街や飲食店、映画館が並ぶ繁華街の末広町、栄町は、バラック建の店舗が戦災と戦後復興の記憶です。




