伝えたい「蔵」の記憶(216)決戦第四年
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.7.3
昭和19年は、インパール作戦失敗、サイパン島玉砕、レイテ沖海戦など厳しい戦況が続きます。太平洋戦争開戦記念日の同年12月8日の北海道新聞は、決戦第4年として、北の防衛完璧を謳い銃後の道民を鼓舞する記事が多く見られます。写真は、「皇土断じて醜夷に汚させじ」「いざ来い米鬼奴」と道民に本土決戦へ勇気を奮い立たせる同日付けの記事です。「敵は千島のみならず、北海道本島に必ず来ると覚悟しなければならない、決戦第4年が本土決戦であるならば、我々は勝利に邁進するのみだ」と報道し、「断乎撃たん」と北海道庁長官が道民へ呼び掛けています。

同日掲載の航空機増産総決起運動では、「敵は既に南洋の皇土を侵して本土に迫らんとし虎視眈々とし、北九州の工業地帯の破壊も狙っている」と戦況の危機を伝え、「危機への直面が敵を撃碎す絶好機である」と道民へ呼びかけています。
決戦第4年の銃後を新聞記事は、市民生活も緊張感がみられます。「釧中神風隊・予科練志願全校挙げて」の記事では、決戦の勝利に貢献したいと釧路中学の志願者が予想より多くなった事を称賛しています。婦人会は、決戦生活のやり繰り、モンペを穿き防空頭巾姿の防衛訓練、学徒の創意工夫に不可能を可能にする期待など、明日への攻勢を期待する記事が多く報道されます。
決戦第4年は、「血の通う神風手拭」「自爆攻撃隊結成」「遺影を抱いて敵艦へ」などの厳しい戦況が連日報道され、銃後の市民に多くの苦難の記憶を残します。




