伝えたい「蔵」の記憶(212)祖父伝来の暖簾を一擲
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.5.29
戦局が厳しさを増してきた昭和18年3月10日、北海道新聞は主催の敵愾心昂揚標語で、「一億抜刀米英打倒」が師団長賞を受賞したニュースと、子供たちが竹槍を持って「一億抜刀米英打倒」を謳うポスターを報道しています。しかし同5月13日にアッツ守備隊の全滅が報道され国民に大きな衝撃を与えます。戦局の悪化により、「決戦下、本土空襲、鬼畜撃滅」などの緊迫した報道が多く見られる中で、商店街の苦悩の様子も伝える記事が同6月8日の北海道新聞に掲載されています。

「祖父伝来の暖簾を一擲」。決戦職場へ転向する商業者の記事です。雄々しくも祖父伝来の暖簾を、折角身についた職業を、総て投げ捨て戦争に直接貢献する職場へ自発的に入所する人々が職指導当局を感激させていると報道しています。戦時体制に於いては、菓子を作る手で弾丸を、刺繍をする手で軍服を、と大決戦に勝つ為全力を戦争に投入しています。
すでに前年の昭和17年2月3日に施行された「衣料品切符制」により市内全業者130戸の半数以上が営業を維持する事は困難との新聞報道が現実になり、「戦時体制の経済情勢に鑑み今般廃業…」の謹告が新聞に掲載され商店街は苦悩の時代を迎えます。
昭和18年は百貨店にとつては劃期的とも云ふべき受難の時代でありました。支那事変以来、年々統制強化、配給商品の減少、店員の時局産業への転身などにより百貨店経営は最早絶望の感に至ると、戦時の苦悩を社長の両角栄治の手記が伝えています。
祖父伝来の暖簾を一擲は、北大通り商店街の戦時の苦悩の記憶です。




