伝えたい「蔵」の記憶(211)梵鐘が晴れの応召
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.5.22
日中戦争から太平洋戦争へ戦局が拡大しようとする昭和16年8月30日、武器生産に必要な金属資源の不足を補う為に官民所有する金属類の回収を行う目的で金属類回収令が制定されます。
金属類回収運動は、全国のデパートで廃品回収展覧が開催され、町内会、職場の取り組みは国民精神総動員の一つとして実施され軍需を優先させる時局の制度で市民生活も影響を受けます。札幌狸小路では昭和17年11月21日、遊楽館前で神式による「鈴蘭燈柱応召壮行式」が行われ、戦車や弾丸に生まれ変わるべく撤去されます。写真は、「鉄と銅を出して米英撃滅へ」と謳った家庭の金属類回収を呼び掛けるポスターです。

釧路では「梵鐘が晴れの応召」「聞名寺と鮮明寺で感謝の法要」の記事が、昭和17年10月20日の釧路新聞に掲載されています。「仏教では信仰の対象として大事な役割を果たす梵鐘が今次大東亜戦争完遂に一役買って名誉の応召」と報道しています。
聞名寺の梵鐘は、故阿部六吉翁寄進によるもので、除夜の鐘として市民に親しまれています。鮮明寺梵鐘は、屯田兵時代に厚岸群太田村の善男善女が刀剣の鍔、かんざし、古銭を寄進して鋳造されたが、廃寺により釧路へ移したなど、の由来を詳細に説明しています。このような由緒ある梵鐘を国家が要請している時局を理解すべきだ、と解説しています。梵鐘は、「法要終了後途中行列を以て浜釧路駅迄お送り致すので参詣供奉を」と檀信徒へ呼び掛けています。
梵鐘の応召は、多くの市民に様々な記憶を伝えています。




