その他 蔵の記憶
公開:2026/03/07 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(193)荷馬車

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.11.28

 黒金町は、「東部官営鉄道の起点と定められ釧路市最初の停車場の所在地にして鉄道に関係深きに因み命名」と釧路郷土史考に記載されています。昭和11年発行の市内案内で黒金町を見ますと、貨物専用浜釧路駅、鉄道の引込み線、鉄道官舎などのまさに鉄道の街。十勝、北見などの沿線各地の木材、雑穀などの集散基地で、浜釧路駅周辺に三ツ輪運輸などの運輸運送業、商社、倉庫が並び活況を呈する街並みです。

荷馬車─「大藤斎藤」商店前

 写真は、昭和10年代初め頃、浜釧路駅近くの黒金町7丁目2番地の果物問屋「大藤斎藤」商店の店頭で商品を満載した3台の荷馬車の出発を見送る様子です。斎藤商店の隣に馬の飼料を扱う「馬料」の看板が見えます、浜釧路駅で貨車から降ろされた貨物を運搬する荷馬車の馬へ対応している様です。

 当時の物資の輸送は、トラックと馬車を併用していますが、市街地の商品、貨物の輸送は馬車運搬が主力で、釧路港、浜釧路駅、太平洋炭砿などで活躍します。写真の馬車は、車輪が木製で輪の外側に焼き入れをした金輪をはめ込み「金輪荷馬車」と呼ばれ堅牢で使い勝手の良い馬車でした。「馬車一台に米25俵を運べたが、自動車は15俵以上は無理で、タイヤパンク、エンジントラブルを起こした」(馬産大国・釧路)と馬車運搬の優位を伝えています。

 「馬力」と称された力強い荷馬車の活躍は、釧路の躍進を支え、大量の商品を満載して商店街を歩む荷馬車と石炭を満載して雪道で頑張る馬橇は、市民生活に溶け込んだ光景です。

 荷馬車の活躍は、馬産大国釧路と躍進釧路に多くの記憶を残しています。

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