伝えたい「蔵」の記憶(169)祝釧網線全通
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.5.23
昭和初期の釧路は、国内経済の不況の影響を受け経済活動の停滞が見られますが、鮪の豊漁が明るい話題でした。人口動態を見ますと、昭和元年4万1195人、昭和6年5万1311人と停滞していた人口が増加傾向を示しています。西幣舞の街並みを見ますと、鉄橋幣舞橋竣工、平和市場の開設、道東初の百貨店丸三鶴屋開店、物流拠点三ッ輪運輸創業と着実に都市機能が進化し中心市街地として活況を呈します。

写真は、昭和6年9月20日釧路新聞に掲載された「祝釧網線開通」の記事です。釧網線全通は、中心市街地西幣舞の街並みの発展を支え、戦前戦後の中心市街地北大通り商店街の活況の大きな要因となり、釧路市民念願の夢の実現し大釧路建設の基礎になります。
太平洋の釧路港とオホーツク海の網走港を結ぶ釧網線は、港と陸の連絡を実現し東北海道開拓の大動脈として沿線の開拓、鉄道の拠点都市釧路の活況を支えます。釧網線開通後の昭和8年の釧路駅の利用状況を見ると、乗車35万4588人、降車35万2892人で、開通前の昭和5年の乗車29万360人、降車28万1342人と比べると急増しています。
物資の輸送面でも効果を発揮します。特に北見地方の雑穀は小樽港への輸送より釧路港への輸送が遙かに低廉となり物流への貢献が期待されています。当時の佐藤国司市長は、新聞紙上で「一も二も鉄道、三も鉄道」と大釧路建設に果たす鉄道への期待を述べています。
釧網線開通により、道東開拓の交通の利便と物流が新しい時代を迎えます。西幣舞は、人と物の交流の拠点都市釧路の玄関口として交流の要の役割を果たします。




