その他 蔵の記憶
公開:2026/03/06 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(154)昭和初期の街並み

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.1.18

 人口の増加と市街地の拡大が続く釧路でしたが、大正11年の市制実施後の10年間が最も多難の時代であつたと釧路市史に記載されています。大戦不況、関東大震災、金融恐慌の影響を受け市勢の進展が一時停滞をします。

 人口動態を見ますと、大正13年の人口は4万7357人ですが、大正15年4万1195人、昭和2年4万2504人と人口が減少しています。釧路市では、不況に挑戦して近代都市実現へ向けて施設事業計画を実施して昭和を迎えます。

昭和初期の西幣舞

 写真は、昭和初期の西幣舞(現北大通り4丁目付近)から幣舞橋への街並みです。西幣舞の人口急増を物語る記録が有ります。大正5年に開校した第4小学校(旭小学校)が毎年増築をし、大正15年には市内で最多の児童数になる位に西幣舞の人口は急増して著しく市街化が進みます。

 写真の左のエキゾチックなドーム型の屋根は北海道拓殖銀行釧路支店の西幣舞出張所です。交通と防火対策により拡張された街路には、大正14年より運行した乗合自動車(バス)、自転車、荷馬車、人が道の中央を歩いています。右に「カバン、クツ」の看板を挙げたのが鍵本靴店です。西幣舞の街並みは、近代的な大正ロマンと力強さを感じさせます。

 昭和初期の西幣舞の街並みは、交通と防火対策の街路の拡張、昭和2年の上水道通水と釧網線釧路標茶間開通、昭和3年の4代目幣舞橋の完成など市制施行以来進められた都市計画の施設事業によって街並みの景観と市民生活が変貌し、釧路停車場と幣舞橋の通りが新しい釧路の中心市街地へ変わろうとしています。

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