伝えたい「蔵」の記憶(133)西幣舞で創業
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.6.29
西幣舞の発展の様子は明治40年、鉄道は函館まで全通するに至り繁栄は漸次橋北に移り米町南大通などは衰退して位置転倒するに至った、と釧路郷土史考に記載されています。
繁栄する西幣舞に、米内活版所が創業します。店主は岩手県九戸郡大川村出身の米内富蔵さんです。16歳の富蔵さんは、根室へ出稼ぎに来ますが鰊漁の不漁により明治31年釧路へ来て仕事を探します。最初の仕事は、鳥取村の澱粉工場で、次に街路灯に灯油を入れて火を灯して歩く点灯屋の仕事をしますが、同42年釧路に電気が灯り点灯屋の仕事が無くなり、3番目に大田活版所です。大正元年に大田活版所を継承して西幣舞に米内活版所を創業します。

写真は、大正7年12月24日釧路新聞に掲載された米内活版所の広告です。小さな広告ですが、デザインは米内活版所を目立たせ、活版印刷、諸帳簿製本、釧路西幣舞橋通、電話571番、振替小樽4294の情報が記載され力強さを感じさせます。米内活版所は、新聞広告を掲載した翌年の大正8年1月3日、491戸が焼失した西幣舞の大火で全焼し、それまでの努力が灰塵となりますが直に新しい印刷機を揃えて西幣舞8番地に米内活版所を再開し再挑戦します。
大正5年1月20日現在電話番号簿で当時の橋北の様子を見ますと、現在の北大通2丁目から6丁目に電話架設者が集中し、新たに釧路へ進出する事業者、多様な商店の進出などが見られ西幣舞の活況を感じさせます。西幣舞は、移住者の創業に活力と夢を与える街です。




