その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(128)西幣舞の大火

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.5.18

 市街地の拡大が続く大正時代の西幣舞は、火災との闘いでした。

 大正2年12月26日、西幣舞75番地(現黒金町6丁目)にあった蕎麦屋から出火し、158棟286戸が焼失しました。この様な大規模の火災が、大正7年12月25日、大正8年1月3日、、大正12年1月31日、大正14年2月21日、大正15年12月3日と5回も記録されています。

大正8年1月3日の大火を伝える釧路新聞

 写真は、大正8年1月3日の大火を伝える釧路新聞の記事です。「満目惨たり釧路町空前の大火」橋北繁華の中心一夜に焦土化す、と報道しています。西幣舞9番地(現北大通7丁目)の按摩業からの出火し、北西の強風により延焼が広がり釧路川を越えて茂尻矢(もしりや)に火が移り、繁華街のオペラ館、末広座、カフェーライオンなど198棟、491戸が焼失し、惨事は形容のしようが無い、と報道しています。

 前年の大正7年12月25日に西幣舞17番地の印刷工場から出火して現北大通り4丁目を中心の目貫の場所33棟、48戸が全焼しました。年末年始に大火が続き、焼野原が西幣舞に広がっていますが、翌日には立退場所提供、類焼民救助の寄付金の申し出、焼失店舗の再建などに取り組む町民の様子を新聞が報道しています。1月11日に緊急町議会を開催し防火対策を協議し防火線設定を決定します。町民と町が迅速に大火への対応策を実践しています。

 市街地の拡張と大規模類焼型火災の発生に対応し交通と防災の観点で、「幣舞橋北橋詰から釧路停車場まで」街路の拡幅が実施されます。

 現在の北大通の防火帯は、先人の大火の被災と再建の記憶を伝えています。

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