伝えたい「蔵」の記憶(118)明治43年の西幣舞
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.3.9
明治40年、釧路・旭川間の鉄道の全通(釧路・函館間は旭川廻り)により停車場のある西幣舞へ市街地が急速に広がります。
同年12月31日現在の釧路の人口は1万6312人、戸数3546戸です。戸数の分布は、幣舞、真砂町などの釧路川左岸に1325戸、西幣舞、頓化の釧路川右岸に1082戸、茂尻矢、知人235戸、春採、桂恋417戸、別保その他490戸(明治41年3月8日釧路新聞)で、新興市街地の西幣舞、頓化の戸数が町の30%に達しています。

写真は、明治43年8月23日、24日釧路停車場構内で開催された北海道汽車博覧会の記念絵葉書の一枚で、現在の北大通4丁目付近から釧路駅方面への景観と目される。(街角の百年)現在の黒金町7丁目付近が釧路停車場ですから、橋南の真砂町、幣舞町から幣舞橋を渡り釧路停車場へ向う市街地(現在の北大通)の様子を伝えています。写真の左側に同39年幣舞橋北橋詰で創業し、同40年に現北大通4丁目に移転した呉服のト北村が見えます。
明治43年の西幣舞の市街地図を見ると、現在の北大通5丁目に金物の小松伝三郎商店、米穀雑貨の丸善伊藤弥三郎、7丁目に村上旅館、製麺の稲葉商店と、北大通の発展を支えた店舗が見られます。釧路停車場付近には、小樽新聞、山形旅館、三輪写真館、雑穀・肥料問屋の橋本清助などの問屋、鉄道貨物取扱の茅野運送部、船舶運送の三上運送(現三ッ輪運輸)が見られ市街の中枢が西幣舞へ伸長しています。
明治40年代の釧路の躍進は、幣舞橋を中心として伝統の中心市街真砂町と西幣舞が支えています。




