その他 蔵の記憶
公開:2026/03/04 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(105)西幣舞

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.11.17

 釧路の中心市街地は、自然発生的な集落の時代の真砂町(南大通)から、計画された集落の西幣舞(北大通)へ移動します。現在の北大通は、昭和7年字地番改正までは西幣舞と呼ばれ、新興の中心市街地でした。

 釧路川右岸の西幣舞は、明治30年代初期まで人家疎らな未開の原野でしたが、同17年に正方形の58区画測量が実施され、同17・18年に西幣舞の西側に鳥取士族移住による鳥取村が開村して釧路川右岸の西幣舞の開拓が計画的に実行されています。

 図録は、明治23年発行された「北海立志図録」に掲載された明治初期の西幣舞の開拓の様子を伝えています。釧路郡釧路村、農業「中戸川平太郎」は、現在の北大通9丁目・善光堂あたりから、末広町、栄町にかけての一帯です。図の左上から右中央へ流れる川が描かれている。当時の釧路川である。

「北海立志図録」の中戸川平太郎宅

 右下の隅にわずかに道路が右上から左下へ斜めに走るのが見える。今日の北大通にあたる。(街角の百年)中戸川平太郎は、神奈川県出身で明治12年に商業を目的に来釧しますが、同14年西幣舞に地籍十万坪の貸し付けを得て開墾をなし、翌15年「プラウ」「ハロー」を東京より購入し大凡(おおよそ)十町歩を耕作す、「是当地方専農の嚆矢なり…」と、北海道殖民状況報文で報告されています。

 明治4年に開拓使顧問のケプロンが持って来たと云われる最新の輸入農機具を導入して北海道東部の未開の西幣舞原野開拓に挑戦した先人の様子を想像すると、開拓に取り組む先人の記憶が伝わります。

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