その他 蔵の記憶
公開:2026/03/04 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(104)橋北の街並み

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.11.3

 釧路の街並みは、クスリ場所の記憶を残す自然発生的な集落から始り、釧路川左岸の橋南地区が中心市街地となり市街地が広がりますが、時を経て釧路川右岸の橋北地区が中心市街地となり市街地が広がります。

 安場保和の「北海紀聞」によると明治17年の釧路の戸数は300戸を超える市街地が形成され発展の機運に向っていたと釧路市史に記載されていますが、釧路川右岸の橋北地区は、現在の北大通付近3戸、トンケシ3戸とまだ街並みが形成されない未開の地でした。

明治39年橋北市街図

 同年、未開の地であった釧路郡釧路村字西幣舞に区画58画(1画30間四方)の測量が実施されます。測量を実施した理由は、「此地は釧路市街と川を隔てて相対し、他日人煙盛に増殖一大市街となるべき見込み地に付、区画を方正にし将来の便を計れり」(釧路市史)と釧路の発展と橋北地区の未来を予想した区画でした。

 釧路川左岸には、丘陵の川沿いの狭隘な土地に自然発生的な街並が続いていますが、将来の発展に限界を感じ、右岸の西側に続く広大な原野に開拓の夢を託し計画された区画を実施した様です。昭和7年の字地番改正以前の橋北地区の字名は、頓化(沼の端)、阿寒太(阿寒川の出口)のアイヌ語地名と西幣舞です。西幣舞は丘陵地の幣舞の西側にある釧路川の対岸の地域の字名です。命名時期は、区画測量を実施した時と、推察されると街角の百年に記載されています。

 釧路川と頓化の浜に囲まれた未開の原野の区画の記憶は、新天地に夢を託した先人に受け継がれ釧路の発展を支えます。

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