伝えたい「蔵」の記憶(98)漁船と幣舞橋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.9.22
釧路川に架橋された幣舞橋は、釧路の移り変わりを記憶しながら市民生活に溶け込み、交通路の要としての役割ばかりでなく、幣舞橋の景観は、釧路市民へ勇気と活力、感動、癒やしを与えています。

写真は、丹葉和之さんが空撮した昭和30年代中ごろの幣舞橋周辺に係留され、出漁を待つ漁船群です。当時、幣舞橋を渡りながら目にする感動的な光景と、聞こえてくる働く人たちの大声とトラック騒音は、戦後の物不足と厳しい生活環境で戦後を体験した釧路市民に勇気と感動を与える光景です。
漁業、石炭、紙パルプが3大産業として釧路の復興を支えていますが、毎日の通勤、通学、買い物の時に幣舞橋から見る漁船、魚揚げ場の活況は、多くの市民に力強い活力を一番身近に感じさせます。昭和30年代の釧路の様子は、昭和31年に北洋サケマス独航船の豊漁、母船式サケマス船団の基地となり、全国から漁船が集結するなど、漁業基地釧路が躍進します。
昭和34年に本州製紙釧路工場が操業開始、太平洋炭砿の出炭が100万㌧突破など主要産業が活況を呈しています。人口の急増により、市街地が拡大し、愛国地区、白樺へ宅地が広がり、昭和34年に江南高校、釧路日赤病院が移転、釧路労災病院が中園町竣工と郊外への人口の移動で、街の様子に変化が見られます。
昭和36年には釧路民衆駅が完成、同時に北大通都市改造事業が始まり、中心商店街の改造など新しい時代を迎えた釧路ですが、4代目幣舞橋は南と北に拡大する街並みの交流を支えています。




