伝えたい「蔵」の記憶(477)休載から再開
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2025.1.13
昭和46年9月末日、釧路市住民基本台帳に登録された市民は、6万3328世帯、人口20万575人となった。「実に釧路市はこの時から、二十万都市を標ぼうするようになった」と戦後史ノート(釧路新書)に記述されています。
戦後の釧路市の人口は、昭和20年5万633人、同26年9万7973人、同36年15万3929人、同46年20万575人と急伸し、札幌市、函館市、旭川市に次ぐ北海道第4位の都市になります。写真は、同47年頃、釧路川を埋め尽くして水揚げ日本一を支え、市民に活力を与えたサンマ漁船群です。
昭和47年元日の釧路新聞は「釧路港水揚げ3年連続日本一の金字塔」─「スケソ・サケ・マス、サンマの豊漁により名実ともに水産基地」と謳う年賀広告が掲載されます。水産基地・釧路の躍進を支える金井漁業株式会社、浜屋水産株式会社、株式会社釧路魚卸売市場、釧路水産ホテルなどが名前を連ねる見開きページの大きな広告です。

その正月2日の釧路新聞は、「金額は市場最高、釧路港水揚3年連続日本一、八戸に7万7千㌧の差」と力強く躍進する漁業と共に、昭和45年の雄別炭鉱の閉山により危機感を強める太平洋炭鉱も「出炭で二つの新記録、12月24万6千㌧、一切羽9万6千6百㌧」と厳しい景況に力強く挑戦する雄姿を報道しています。
漁業の活況、力強く邁進する石炭と、木材チップの大きな山が象徴の十条製紙と本州製紙の基幹産業が市民生活に夢と活力を与えています。躍進20万都市釧路は、昭和50年の人口27万人を想定(第2次釧路市総合計画)し、市民生活の夢が広がります。




