その他 蔵の記憶
公開:2026/03/13 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(379)昭和40年の北大通

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2021.5.31

 昭和40年の釧路市の人口は、17万4105人を記録し、同30年に比べて145.5%の人口増加率は、札幌市の186.3%、旭川市の148.6%に次ぐ増加で市勢拡大の勢いを伝えています。この中で同36年に始まった北大通都市改造事業は、道路の拡幅、店舗の改築・新築が進められて北大通商店街の近代化が進展します。

北大通商店街

 写真は、昭和40年の幣舞橋と同36年に完成した近代的な釧路民衆駅を結ぶ、拡幅された北大通です。戦前の名残を留どめる店舗と近代的な高層ビルが並び、商店街の街並みが変わる北大通商店街です。

 戦災で被災した北大通東側は、北海道新聞社、昭和39年開店の釧路デパート、マルカツビル、店舗の一部が歩道にかぶっている丸三鶴屋百貨店のビルが並んでいます。また、せとものヤマワ、電気の高橋、アケードのある山下書店、村上金物、金安時計店、足立靴店などビル化されない店舗も並んでいます。

 戦災の被災を免れた北大通西側は、丸ト北村、拓殖銀行、富士銀行、日興証券などがビル化されていますが、戦前の名残を留どめる店舗が多数見られます。拡幅された北大通は、幣舞橋から釧路駅までバス、トラック、タクシーが列をなし、歩道を歩く市民も多く、「交通量が急速に増える一方」と新聞が報道しています。

 また、釧路デパート屋上の観覧車、丸三鶴屋屋上の遊技場、林立するテレビの広告ネオン塔、大きな商店の看板が北大通商店街の活況と賑わいを感じさせます。

 昭和40年の北大通は、ビル建設、店舗改装による街並みの変貌が続き市勢の拡大と躍進釧路の記憶を伝えています。

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