伝えたい「蔵」の記憶(367)浦田菓子舗
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2021.2.22
北大通りの都市改造事業が始まる以前、昭和35年頃の北大通り8丁目西側商店街は、戦前の名残を留める木造2階建の店舗が軒を連ねていました。それは戦前の統制経済と戦後の混乱を乗り越えた老舗が並ぶ商店街です。

写真は、屋根に鯱(しゃちほこ)がそびえるお城造りの店舗に「しとき」の宣伝看板が見える浦田菓子舗と、店舗の壁にメガネの広告を描いたメガネの早川、昭和41年3月発売のマヒナスターズのヒット曲「女っぽいね」の宣伝広告が見える山本楽器店です。昭和35年頃に比べ一変し、とても新鮮さを感じる昭和41年頃の北大通り8丁目西側商店街です。
浦田菓子舗は、浦田鉄蔵さんが明治40年に西幣舞21番地(現在地)に金森長屋を借りて創業します。この年の釧路町は、戸数3546/戸、人口1万6312人で、函館―釧路の鉄道が全通し活況を呈しますが、まだ橋南の真砂町が中心市街地で浦田菓子舗が創業した西幣舞21番地は街外れです。
初めはキナコ、ネジリなどの菓子の卸売りでしたが、大正4年頃から小売りに切り換え釧路―厚岸間の鉄道開通の翌年の同7年に長屋を買い取り新店舗を開きます。(わがおやじの頃より)前年の大正6年には釧路駅が現在地へ移転しており、浦田菓子舗の繁盛の要因の一つの様です。
大正13年11月、浦田鉄蔵さんが亡くなり、奥さんのシンさんと息子の繁さんが暖簾を守り戦前戦後の混乱期を乗り越えて、昭和29年の昭和天皇、皇后両陛下がお召し上がりになった「鶴の庭」ほか、釧路蝦夷銘菓「しとき」、郷土の味と香りを伝える「幣舞せんべい」と斬新な菓子を誕生させます。
昭和43年お城の店舗が3階の店舗に建て替えられますが、釧路市民自慢の菓子の老舗です。




