その他 蔵の記憶
公開:2026/03/12 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(346)釧路東宝閉館

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2020.8.3

 日本の映画は、昭和28年に始まったテレビの急速な普及により、同33年に観客11億人の最高を記録しますが、急激に下降し同38年には半分以下の5億人を記録します。

 昭和36年の釧路の映画館は、末広町に釧路劇場、釧路東宝、日活オデオン、セントラル劇場、第二東映、釧路映画劇場、スバル座、釧路東映。南大通に釧路南映、東映グランド。駅裏に日本劇場、釧路パール座、帝国劇場、新橋映画劇場。その他にも太平洋炭砿、十条製紙の映画館などを含めると18の映画館が興行し、ベン・ハー、ウエストサイド物語、加山雄三の若大将、三船敏郎の用心棒、森繁久彌の社長シリーズなどが映画好きの釧路市民を楽しませますが、徐々に衰退の兆しが現実化します。

 テレビに次ぐ娯楽施設の地位に甘んじ釧路市内の映画の観客は、昭和38年の百六十一万七千人から同41年は百万人スレスレと年々減少。「経営者は対策に真剣だ」と同42年4月5日の釧路新聞が報道し映画の危機を伝えています。

釧路東宝の記事

 写真は、昭和42年5月30日の釧路新聞に掲載された「釧路東宝あすいっぱいで閉館」の記事です。釧路東宝の歴史は、昭和12年前川さんが「オペラ館」を買収し、釧路東宝の看板を揚げたのが始まりで、戦後の混乱期に丸三鶴屋の2、3階で再開し、同22年暮れ、末広町4丁目に釧路東宝を新築し映画の黄金時代を迎えますが、斜陽の波に襲われます。末広町で30年間釧路市民の笑顔を支えた釧路東宝の苦渋の最後を記事は伝えています。

 釧路東宝の閉館は、末広町の新たな賑わいの記憶です。

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