その他 蔵の記憶
公開:2026/03/11 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(320)清明小学校開校

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2019.12.16

 戦後の釧路市は、人口急増により深刻な住宅難が続きます。市は住宅難解消のために市営住宅の建設と団地造成、区画整理事業による宅地開発を実施し、市街地が郊外に拡大して新しい街並が誕生します。拡大した市街地では、児童の急増により学校の過密化の対応を迫られ、昭和30年代は拡大した市街地での学校の新設が続きます。

 昭和35年9月10日の釧路新聞は、緑ケ岡小、中、愛国中学校「三校同時に新設工事」と学校新設を報道しています。愛国地区の発展に伴って鳥取中学校と共栄中学校の分離校として雄鉄線沿いの東川町に同36年4月6日開校の景雲中学校。そして住宅街を形成しつつある緑ケ岡に同4月5日開校の清明小学校と同4月6日開校の緑陵中学校の新設工事着工について「三校の同時建設というのは近来にない思い切った対策である」と報道し、当時の児童増加対策の緊急状況を伝えています。

緑ケ岡と鶴ケ岱の住宅街

 写真は、「水が浸みる様に住宅街が緑ケ岡に迫る」と言われた、昭和38年頃の緑ケ岡と鶴ケ岱の住宅街の様子です。中央に市営グラウンド、近くに城山小学校と同32年開校の北陽高校を取り囲む様に住宅街と広い畑が見えますが、畑が住宅街に変貌するのに余り時間がかからないほど緑ケ岡の宅地化が進みます。

 昭和36年4月6日の釧路新聞は、清明小学校の開校式を「お別れ曲で大行進、城山から4百余転校」と城山小学校から緑ケ岡に開校した清明小学校へ行進する児童の様子を報道しています。

 清明小学校の開校は、人口の増加と、畑が宅地に変わり住宅街が郊外へ拡大した記憶を伝えています。

前「人口増加と江南高校移転」    次「白樺団地」

TOP