伝えたい「蔵」の記憶(312)すずらん通り
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.10.7
末広町は、昭和初期から繁華街として釧路市民の生活に溶け込み多くの記憶を伝えていますが、昭和20年7月の釧路空襲に被災しながらも焦土から復興し、映画館、料亭、キャバレー、喫茶店、遊技場が密集し発展釧路を象徴する活気溢れる繁華街となります。
活気溢れる繁華街の末広町4丁目と5丁目の街並みを明るくするため、昭和28年頃「すずらんの花型の電燈」5基の立派な街路灯がお目見えし、釧路の繁華街に自慢のタネが増えて名物となり、通りの名前が「すずらん通り」となったと「街角の百年」(釧路新書)が記述しています。街路灯がまだ珍しい時代の街路灯設置は、復興途上の末広町飲食店街の活力を伝えています。

写真は、昭和32年9月10日釧路新聞に掲載された「すずらん通り紅葉祭」の広告です。スズラン燈を5基から10基に増設した工事が完成したのを記念に開催されました。
昭和30年頃の住宅地図を見ると、末広町4丁目は、東宝劇場、セントラル劇場、喫茶琥珀、おでんの住友。5丁目は、とみや化粧品店、マルイチパチンコ、洋食のトキワグリル、クラブ上海、ニュー東宝などが並び、すずらん通りは、大人から子供まで楽しむ通りです。スズラン燈完成記念行事は、懸賞クイズ、映画御招待、野外映画、のど自慢、三の歌、剣道大会など斬新な企画で明るいすずらん通りの賑わいを演出しています。
復興期のスズラン燈は、道路が未舗装のため春の雪解けや雨降りの悪路に難渋する市民の足元を照らし好評だったと古老が話しています。すずらん通りは、今も街灯が輝き、先人の戦後復興の記憶を伝えています。




