その他 蔵の記憶
公開:2026/03/09 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(243)サバ御殿

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2018.2.26

 戦後の厳しい市民生活の様子を伝える「誰を恨む米無正月」「釧路市中心に未配町村続出」「早く来て呉れ米積船」の記事が昭和21年1月3日の北海道新聞に掲載され、食糧危機を報道しています。同年釧路市職員として食糧確保に奮闘した野坂朔郎氏は、「夢も希望無くただその日の食糧を捜し飢えから逃れようと頑張った」と、著書の釧路魚河岸ものがたりの1節「迎えるか、一粒の米もないお正月」で厳しい市民生活を伝えています。

 一方で太平洋岸東北海道海域の釧路沖漁場は、食糧危機解消に応える漁場として期待され、魚漁基地釧路は戦後早々活発な漁業が復活します。釧路市史は、昭和24年8月に「サバ旋網漁業が未曾有の豊漁(年間水揚げ量1千万貫)に恵まれ、釧路水産界活況を呈す」と戦後の釧路漁業の活況を伝え、翌年の昭和25年の釧路沖ではサンマ棒受網魚漁が大漁に沸いた年です。

昭和26年頃の活気溢れる幣舞橋周辺の光景

 写真は、幣舞橋南橋詰東側の工事中の日本銀行と釧路川を埋め尽くす漁船が係留している昭和26年頃の活気溢れる光景です。敗戦により日本の漁場が狭められた漁業でしたが、サバ、サンマの豊漁は、戦後経済復興に大きな役割を果たし、漁業基地釧路に新しい時代の到来を伝えています。

 サバ、サンマの未曾有の豊漁により街は魚で溢れ、水産加工、運輸などの関連産業の活況と好景気は「サバ御殿」が話題に登場するなど釧路市民に夢と活力を与えています。

 サバの豊漁は、漁業が釧路の発展を支える三大産業の一つとして水揚量日本一を誇った漁業基地釧路の復興の記憶です。

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