その他 蔵の記憶
公開:2026/03/08 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(223)北大通り復興

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2017.8.21

 昭和20年8月15日の終戦を契機に、戦時統制経済から自由主義経済へ移行しますが、インフレと極度の食料難により不安と昏迷が続きます。しかし、同21年に戦災復興土地区画整理が、北大通り、末広町、川上町の焼け跡に実施され逞しい戦後復興が始まります。

復興が始まった北大通り商店街

 写真は、復興が始まった昭和21年の北大通り商店街です。釧路空襲で被災した店舗で同20年9月から営業を再開した丸三鶴屋、焼け跡にバラック建店舗で営業を再開した平和市場と、被災した北大通り東側、末広町です。

 当時の釧路市内の商業状況は、焼け跡の北大通り、稲荷小路に加え青空市場と呼ばれたヤミ市が出現し、軍服や食料品、洋モクのラッキーストライク、ゴールドが売られ、営業を再開した丸三鶴屋では、物不足に対応して顧客が持って来た洋服と砂糖を交換する物資交換会を開催するなど商業の混乱が続いています。

 道東初の百貨店丸三鶴屋と平和市場は、戦前の北大通り商店街の中核として釧路市民から支持され、釧路の商業の発展を支えた店舗です。その被災した丸三鶴屋と焼失した平和市場の戦災からの復興の取り組みは、市民生活の回復にも力を与えた事と思います。又、北大通りの老舗マルト北村呉服店は昭和22年3月、2年ぶりに平和市場で丸ト看板をあげ商いを再開します。戦時中開店休業状態にあった北大通り商店街に暖簾の復活が見られる様になります。

 進駐軍の釧路入り、食糧は大欠配、物価高騰、急激な社会環境変化など混乱の中で北大通り商店街の苦難の復興が始まります。

前「終戦の記憶」    次「パラダイス」

TOP