その他 蔵の記憶
公開:2026/03/07 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(187)阿寒国立公園誕生

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.10.10

 不況と冷害凶作の昭和6、7年の試練を経た同8年元日の釧路新聞は、新視野の展望で、「本年の港湾と鉄道は一新機軸を劃(かく)す」と述べています。

 釧網線全通、新釧路川通水により、港湾と鉄道の物流に新時代の発展を期待しています。しかし、奥地原野は、大凶作の試練や物価高騰の影響を受け、不況感の強い厳しい状況でした。そのような不況時代の明るい話題が、昭和9年12月16日の阿寒国立公園の指定です。

 亜寒帯性の針葉樹林を中心とする天然林、火山と湖の自然景観は、観光リゾート地として全国に紹介され、釧路市の産業は、それまでの漁業、石炭、木材資源に観光が加えられ、阿寒国立公園の玄関口になります。国立公園指定を受けて、お祝いのパレードがメインストリートの北大通で実施されます。

阿寒国立公園のポスター

 写真は、原始林と火山を描いた佐々木栄松画の阿寒国立公園のポスターです。明治39年北海道国有地未開地処分法に基づき阿寒湖畔の土地を取得して前田一歩園を設立した前田正名氏は、「この山は切る山ではなく観る山にすべきである」との言葉を残し、観光地への発展を予言しています。

 国立公園指定を契機として昭和9年知人岬に石川啄木の歌碑が建立されます。続く昭和10年はモシリヤチャシ、春採台地竪穴群、チャランケチャシの道文化財史跡指定、昭和11年も佐野家頌徳碑建立などと、釧路の文化情報を発信しています。

 阿寒国立公園の誕生は、釧路に観光と云う新しい資源と文化をもたらし、低迷が続く景況の中に新鮮な希望と活力を与えています。

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