その他 蔵の記憶
公開:2026/03/06 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(157)釧路標茶間開通

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.2.8

 昭和初期の西幣舞の街並みは、文化的な近代都市を目指し実施された施設事業計画が今日の都市計に相当する。上水道給水、幣舞橋などの事業が竣工し、急速に近代化の様相を呈します。

 西幣舞の街並み隆盛の要因の一つは、釧路川上流の内陸部の開拓を促進する、釧路標茶間の釧網線開通です。 

釧網線開通を伝える釧路新聞の記事

 写真は、昭和2年9月15日開業した釧網線の着工までの経緯と釧路標茶間の線路状勢、工事経過を伝える釧路新聞に掲載された記事です。釧網線は、厚岸より網走に至る工事が明治29年5月に計画されましたが、築港事業が実施され発展著しい釧路から斜里を経て網走のルートに変更され、大正10年起工し、昭和6年9月20日に全通します。釧路標茶間の沿線は、湿地が多く開拓が遅れていましたが、本線の開通により沿線の開拓が促進され、根室標津原野などの内陸開拓も恩恵を受けるので全線開通が急務であると釧路新聞が報道しています。

 開業時の新設駅は、遠野、細岡、塘路、茅沼、五十石、標茶で、沿線の人口は、1071戸、5133人で、延伸が近い弟子屈の2500人を加えても7633人に過ぎないが、開通により急激に発達をすると釧路運輸事務所が調査しています。

 釧路網走間の開通により釧路、北見、池田、釧路を結ぶ東北海道の環状線が誕生して釧路の発展を促進します。釧路停車場の乗降者数の状況を見ますと、昭和5年57万1702人、昭和8年70万7480人(釧路市史)と急増しています。

 釧路標茶間の開通は、明治時代から続いた釧路川の河川運輸送が終了し内陸開拓の新時代を迎え、乗降客の賑いは、釧路停車場周辺に新たな街並みを創造します。

前「消防本部」    次「西幣舞中心商店街」

TOP