その他 蔵の記憶
公開:2026/03/06 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(155)上水道 通水

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.1.25

 大正14年の釧路の人口は、4万2333人で、市街地の北進が続く西幣舞の人口は1万5540人を記録し全市の27.2%で、米町、真砂町、洲崎町などの釧路の中心市街地を超えています。

 釧路市は、人口の増加と市街地拡大に対応し現在の都市計画に当たる施設事業計画を策定し実施します。昭和2年10月8日、計画の一番目に挙げられた上水道通水式が春採公園(現春湖台)で挙行されました。

 完成までの経緯は、大正14年に着工し、同15年12月8日上水道通水試験を経て昭和2年1月1日を期して釧路上水道給水開始をします。北海道の水道の始まりは、明治22年函館で釧路は大正5年の室蘭に次いで5番目です。

 水源は別保川で、送水管により春湖台の沈殿池、ろ過池、浄水池を備えた浄水場へ送り揚げ、浄化された水を市内へ配水します。昭和2年の人口は4万2504人ですが、主要施設は人口10万人に相当し、給水人口6万人を想定します。給水管に付随して、276個の地下式消火栓が設けてあり、概ね街路の交差点やその他必要と思われる地点に取り付けられ、橋北106個、橋南170個です。公設共用栓は、公道上の要所要所に設け、橋北は72個、橋南は85個を設置しました。(釧路市水道五十年史)

公設共用栓

 写真は、市内の道路沿いに設置されたライオンをデザインした公設共用栓です。ヨーロッパではライオンは水の守護神と言われ、共用栓のデザインに使用され「獅子頭」と呼ばれています。給水の開始は、市民生活、都市機能の改善と産業経済発展を支え、水不足と大火の惨事を体験した西幣舞から「水売り」が姿を消します。

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