伝えたい「蔵」の記憶(150)西幣舞の商い
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.12.7
釧路の中心商店街は、大正時代後期には鉄道の発達と沿線の移住、開拓により市街地が橋北に拡大し、橋南の真砂町から西幣舞へ移動します。幣舞橋から釧路停車場の通りは、防火対策として道路幅を12間に拡幅され新築された商店、飲食店が並びます。大正11年の市制施行、釧網線の施設工事の開始、同12年の雄別線の開通により中心商店街への移動が顕著になります。

写真は、同12年1月9日釧路新聞に掲載された「西幣舞橋通歳暮共同大売出景品受領広告」です。広告には1等と2等当籤(せん)者の住所、氏名が掲載されています。年末の歳暮大売出しの広告に、「当組合は景品の確実なる事毎年当籤者諸氏の受領広告により明らかなり」と掲載を約束しています。
年末商戦を見ますと、真砂町連合売出し、幣舞町連合福引売出しと商店街が競っています。西幣舞橋共同売出組合の景品受領広告の新聞掲載は他の商店街売出しと差別化した、西幣舞商店街の戦略のようです。当籤者は、根室線16人、西幣舞14人、橋南地区7人、茂尻矢、春採など8人で新興の西幣舞橋通商店街は、白糠、舌辛、厚岸などの鉄道沿線と西幣舞の人達の生活を支えています。
西幣舞の商店街は、中山茶紙店、菓子所浦田商店、ト北村呉服店など西幣舞創業の商店と真砂町に本店がある両角呉服店、水野陶器店、蒲団の西屋などが支店を開設し激しい商戦が展開され、山の手の固定客を顧客とする伝統的な真砂町、幣舞町の商店街と違う商です。
西幣舞商店街の厳しい商戦は、その後の北大通商店街の記憶です。




