その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(132)躍進の実証

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.6.22

 黎明期の釧路の発展を人口で見ますと、明治時代後期から大正初期に急激に増加した街並みは、橋南から橋北へ拡大をします。当時の釧路を「大釧路建設の機運迫る、今や理想は着々具象化され来たれリ」と東北海道の首都として躍進する釧路の現況と未来への期待を大正5年9月15日の釧路新聞が伝えています。

大正4年生産総額大番付表

 写真は、大正5年9月22日釧路新聞に掲載された「大正4年生産総額大番付表」で、釧路発展の経済活動を伝えています。海陸の総生産額の番付表は、総生産額127種、508万4865円を相撲の番付にしています。横綱は昆布、大関は沃度(ヨード)、石炭、張出大関は製紙原材料、関脇は丸太、藻類、小結は挽材(ひざい)、鱈。総生産額の内訳は、水産47%、林産23%、農業17%、工業6%、鉱業6%を示し、水産、紙、石炭の釧路の3大産業の兆しが見られ、総生産額を明治41年と大正4年を比較すると7年間で243%の増加と驚異的な成長です。

 生産活動の活況により人口の増加、市街地の拡大が続き、西幣舞は活況を呈する釧路を支え中心市街地へと期待されています。大正5年の釧路新聞に掲載された「字名改正調査」の報告書は、釧路町大字釧路村字西幣舞と呼ばれ、其の地番が甚だ複雑で分かり難いので、釧路発展の為に早急に解消する必要があることや、幣舞橋付近の土地を地元釧路町在住者だけでなく小樽、札幌、横浜などの購入が多く、地価高騰を誘発しているなど西幣舞への期待と活況の現況を報告しています。

 釧路新聞に掲載された記事は、大正初期の釧路と西幣舞の躍進の記憶を伝えています。

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