伝えたい「蔵」の記憶(117)鉄道千哩記念碑
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.3.2
北海道鉄道敷設法が明治29年5月に公布され、千マイル(1600㌔)の幹線鉄道が記載されています。北海道の幹線鉄道の敷設は、未開の大地北海道の拓殖計画を進める為に急務でした。北海道の鉄道は、同13年の手宮・札幌に始まり、旭川~釧路、小樽~函館の幹線が開通し大正5年に千マイルに達します。
昭和2年3月、北海道の鉄道総延長が千マイルに達した記念として、初代鉄道部長であった田辺朔朗が、自費で「鉄道千哩記念碑」を北海道東部の起点釧路の春採公園に建立しましたが、同47年に鉄道公園と呼ばれている幸町公園に移りました。

碑は、千年後の後世に伝えられるようコンクリートで造り、碑にはめられた4面の額石はノルウェー産のエメラルドパールで、1面には田辺朔朗の自筆で千マイル迄の鉄道史一端を、一面には当時の岡本釧路市長の手に依り碑の由来が刻まれています。(釧路鉄道管理局史)
鉄道千哩記念碑は、未開の北海道に縦横の鉄道を敷き、沿線に新しい街を誕生させ、石炭、森林資源、農産物、生活物資の輸送など、開拓に夢を託した先人の記憶です。初代鉄道部長田辺朔朗が、幹線鉄道のルート調査の為に未開の原始林や湿原に悪戦苦闘し、地形、地質、経済効果、資材の調達などを踏査し、未開の北海道の可能性へかける信念と情熱を伝えています。
北海道東部の鉄道の起点釧路から十勝に向かって工事が始まりました。鉄道の開通と先人の努力は、活況と躍進の釧路を誕生させます。千哩記念碑は、挑戦する先人の記憶を伝えています。




