伝えたい「蔵」の記憶(100)市制10年記念幣舞橋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.10.6
4代目幣舞橋が完成した昭和3年の釧路の人口は4万3495人でした。その後半世紀にわたり市民生活を支えていましたが、昭和50年の人口は20万8809人で20万都市釧路が誕生します。その年の7月仮橋が完成して役割を終えますが、多くの思い出を残してくれました。
4代目幣舞橋は、釧路の躍進を願う先人の思いを伝えながら、昭和6年の満州事変、16年の太平洋戦争、20年の終戦とその後の復興、躍進、高度成長と激動の時代を記憶しています。激動を乗り越えた釧路市民の思い出を伝える橋でもあります。
昭和7年、釧路の人口は5万1445人となり、鉄橋幣舞橋の完成により釧路の街は新しい時代を迎えます。躍進都市釧路の市制施行10周年記念の祝典が行われます。写真は、日の丸の小旗を持って幣舞橋に集まった市民の前で、市制施行10周年記念として佐藤国司市長が稚鯉1万2千尾を放流する様子です。道東の拠点都市の躍進を喜ぶ市民には、感動的な思い出の光景です。

幣舞橋の思い出は、年代によって様々ですが、私の思い出は昭和20年代初めの戦後復興期です。小学校の頃に幣舞橋を渡る事は、丸三鶴屋のある北大通商店街、映画館、飲食店が集まる街へ行く事でした。乗物を利用する事の少ない時代で、歩いて幣舞橋を渡ると露店が北大通5丁目付近まで並び露店に群がる買い物客と口上を述べる露店商の熱気は子供の私にも伝わり、日頃の雰囲気と違う異次元の世界でした。幣舞橋を歩くと、激動の時代にたくましく挑戦する市民の姿を思い出します。




