本と本屋と本好きと
週末、本のイベントをはしごした。
まちの話題で紹介したこともあり、あわよくば取材もと思って参戦したが、気づけば本を漁るのに夢中になり、写真の1枚も撮らずに終わっていた。
己の楽しみを最優先させるライターなど失格の見本である。
31日の一箱古本市はハロウィンの日だったこともあって北大通が仮装をした人々でにぎわい、「まちなかに人が、人がいる…!」という悲鳴に近い叫びが出た。悲しいが、それほどまでに北大通という中心部は普段閑散としているのである。
取材ではなくしっかりと散財をして、翌日はBOOK STOPという釧路では初の試みのイベントに行った。
道東各地から小さな本屋さんが集まる、バス停のようなBOOK STOP。
知らない本屋さん、初めて見る本にZINE。小さなギャラリーいっぱいにあふれる交流の熱気。
会場に漂う本好きたちの熱量がすごい。出店者と客、あるいは出店者同士、もしかしたら客同士も、分け隔てなく本や文化や雑多なことについて語り合っている。
内輪だけで盛り上がるような閉鎖的な雰囲気ではなく、話の中心にあるのは「本」である。
地域も立場も関係なく、本がそこにあるだけで会話が弾む、なんとも不思議で居心地のいい空間に驚いた。
各店の選書が見事にバラバラで重複しておらず、品揃えも実に個性的だ。動物から哲学、自己啓発、健康、ZINEと呼ばれる手作りの本、品のいい雑貨を置いている店もある。
常日頃、コリン・ウィルソン伯や澁澤龍彦卿、荒俣宏大先生など、オカルト色の強い本をニタニタ読んでいる身としては、普段お目にかからない本が並ぶ新鮮な光景に、目が覚めるような思いをした。
普段ならある程度は物欲を抑え込める理性も、本に関してはまったく役に立たない。
読めるかどうか、必要かどうかなどという判断はどこかへ吹っ飛び、その中身を知りたい、まだ見ぬ世界を覗いてみたいという欲求がすさまじい勢いで脳内のドーパミンを誘発し、「どうしても欲しいんじゃあ」と知識欲が理性をねじ伏せてしまうのである。
そういうわけで、この2日間で1万円近くを使い込んでしまった。いや、本も値上がりしているしさ…。
北大通から書店が消えて久しい。BOOK亭、日進堂、小田原書店、ISM地下の書店(店名を失念)、丸三ブックセンター、山下書店。往時の釧路にはたくさんの書店があった。書店巡りをするだけで休日があっという間に過ぎていった。ここはサブカル系、ここはオタク系、ここはオカルト系が強いなどと店ごとに特色があり、飽きることはなかった。もちろん、買う金もなかったので、頻繁に通ってはこっそりと立ち読みにふけるだけではあったが。
読書は孤独だ。ひとり黙々と文字を追う、根暗な趣味というイメージを持つ人がいるのは否定しない。
確かに読むときはひとりである。だが、本をきっかけにこれほど人が集まり、楽しそうに語り合う光景を見ていると、本の世界もなかなか騒がしくにぎやかなものだと思う。
誰しもが難解な本を読んでいるのではない、名作を読んでいるのではない。筆者の愛読書に至っては辞典である(ドヤア)。
そして本屋というものは、案外おちゃらけた本が多いのである。
書店が減り、本との出会い方も変わっていく中で、こうして本を囲み、人が集まって語り合える場所があるのは幸せなことだと感じた。主催者の方からは、いずれ全道規模へと活動を広げていきたいという話も聞いた。
こうした本や文化を通じた取り組みが、これからも各地に広がっていくことを願ってやまない。
もうこれ以上長居すると破産してしまうし、しゃべり疲れたのもあっておいとまをする。会場を出てすぐのところで信号待ちをしていると、まったく見知らぬご婦人に「何かイベントなんですか?」と話しかけられた。青になるわずかの時間に、前日のハロウィンのにぎわいがすごかった、ということまでしゃべっていた。人見知りよどこへやら、会場では初対面の人たちとさんざん本について話し、外ではたまたま行き合った人とまで話す。
釧路って、なんかいい町なんじゃない?
ふと思って強風の中を漕いで帰った。
おまけ。
店主による紹介文だけで、中身は封をされて見ることができないガチャのような本を買ってみた。
「8ページ8行目のこの一行に、正義を声高に叫ぼうとしていた頃の青い僕は見て見ぬふりをしようとしていたような、でもこの挑発が心地いいような、そんな気がした」
エッセイではないとヒントをもらうも、予測がつかない。
名作なので知っていると思う、と言われますます分からない。
その場で封を開けたいのを我慢して、家で開けたところ。
まさかの与謝野晶子「みだれ髪」。
参りました。(ごめのすけ)





