その他 編集部コラム
公開:2026/09/22

編集部コラム「断捨離の罠」

人生で10回ほど引っ越しをしている。
その都度、なにかしら大事なものをなくしている。
正確に言えば、なくしたのではなく自らの手で捨てている。捨てた覚えがないのに勝手に消えている物もいくつかある。

断捨離がブームになって久しい。
1日5個または5分間で何かを捨てよ、精神的な不調には片付けが良い、断捨離で金運がアップしました、不要なものを手放したら病気が治りました、背が伸びました、彼女ができました…などなど巷では物を捨てることがまじないのようでもある。いや、そこまでいったらオカルトの域だろ。

確かに、モノを捨てまくるのは気持ちがいい。
身の回りが片付いてきれいになるのは清々しい。
いかに不要品にまみれて生活をしているか、いかに自分が「使いかけ」で時を止めるのが得意なのかが窺い知れる。

しかも、一度捨て始めると判断がどんどん雑になるということもわかってきた。
かつて、「1年以上使わないものはゴミ箱へ」という、いかにも合理的なルールを設けたことがあり、かなりのモノが粛清の憂き目に遭った。服、雑貨、古い書類、思い出の品、そして本。判断基準は単純で、今使っていないなら今後も使わないだろうという安直な思考一本。
必要になったら、そのときまた手に入れればいい。そう考えると、捨てる手の動きはどんどん速くなる。ええい、やっちまえー。

その結果どうなったかというと。

モノと一緒に記憶までは捨てられないと気付いた時はもう遅かった。

数年後のある日、突然「あの時捨てたモノ」が必要になる瞬間が来てしまうのである。
対象の「モノ」を持っていたという記憶だけは、妙に鮮明に脳裏に浮かび、厄介なことにしまった場所までも思い出す。収納の奥を掘り進んで発掘しようとしてもそこには何もない。
「どこにやったっけ……あああ、捨てたんだー!」という悲痛な叫びを、これまで何度放ってきたことだろう。

マンガなどは典型であろう。重い、かさばるの二重苦は引っ越しの際に真っ先に断捨離候補になる。
また読みたくなったら買い直せばいいじゃん!とその時は安易に考えるものの、いざ「その時」が来たら来たで、ものすごく買い渋ってしまうのである。
自分で処分したものを、自分の金でもう一度買う、この屈辱感よ。

しかし、捨てたとわかっている物ならば自分に腹を立てるくらいで済むのだが、厄介なのは捨てた記憶すらない物である。

昔、マニアックなメーカーのキーボードを持っていた。当時の自分にとってはかなりの高額商品で、メカニカルスイッチに加えてUS配列というシロモノだ。毎日使うものではなかったが、気に入ってとても大事にしていた。

ところが、いつからか姿を消してしまったのである。
絶対に捨てるはずがない!という自信だけはあるものの、家中を探しても見つからない。
必死に記憶の糸をたぐってみるも、引っ越しの数に比例して処分の回数も多いので、もう何が何やらわからない。
買い直そうにもとっくに廃盤になっていて入手困難ときた。
モノと一緒に記憶も消失してくれれば、最初からこんな労力も、悔しい思いもしなくて済むのに。ナンデ捨てたの!と過去の自分との決着のつかない攻防戦が始まる。

キーボードの一件を教訓に、これだけは捨てるまいとお気に入りのカバンを大事にしまっておいた。たまに存在を確認してはよしよしと思っていた。
だがある日、引っ張り出してみると元の色がわからないくらいカビまみれになっていた。(ごめのすけ)

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