伝えたい「蔵」の記憶(257)大釧路市の構図
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.7.2
戦後の釧路市は、サバ、サンマの豊漁、石炭、紙パルプ産業の活況と、昭和24年の鳥取町との合併により人口が急増し市街地の拡大が進み、市勢は活況を呈します。市勢の活況を戦後の人口動態で見ると、昭和20年5万633人、昭和23年6万5721人、昭和25年9万3357人と異常な増加を記録し、釧路の中心地市街地も、戦後の混乱期にかかわらず着実に復興に取り組み戦前の最盛期を凌ぐ勢いです。

写真は、昭和20年代中頃の拓殖銀行釧路支店とお菓子老舗の千秋庵が見える北大通り5丁目交差点の道路改修工事中の様子です、北大通りが本格的な道路改修工事に着手しており、建設機械が無い時代の工事ですが、工事現場に力強い復興を感じさせます。
復興に取り組む昭和26年11月17日の北海道新聞に次代の躍進都市釧路への構想が掲載されています。「大釧路市の構図」「アカ抜けした市街」の見出しで都市計画五カ年計画を報道しています。
計画は、人口15万から20万を見込んだ都市計画です。戦災跡地の復興、鳥取町合併などを経た釧路市の発展を想定した道路、上下水道、公園、スポーツセンターなど都市機能の近代化を図る都市計画です。黒金町は、浜釧路駅、工機部、客車庫を移転し、市役所庁舎、警察署、電話局を含むビジネスセンター構想が描かれています。
現在の釧路市の街並みの原点が混乱期に立案され実施されています。
戦災による焦土から出発した釧路市の戦後復興期に発表された「大釧路市の構図」は、其の後の躍進釧路の原点であり、先人の活力と力強い願望を感じさせる戦後の記憶です。




