伝えたい「蔵」の記憶(207)昭和17年の広告
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.4.17
昭和17年5月に、日本軍の南方侵攻作戦が一段落しますが、6月5日ミドウェー海戦と戦線が拡大し、「欲しがりません勝つまでは」の標語が発表されます。婦人標準服(モンペ姿)の決定、切符配給制度、金属回収令などの経済統制の強化と深刻な物不足により市民生活が困難な時代を迎えます。

写真は、昭和17年10月27日釧路新聞に掲載された、時局を反映した「聖戦完遂物価展」開催の丸三鶴屋と「新規格品売出」開催の岡野絹物店の広告です。隣の仁丹は、「決戦下の体力」と戦時の緊張感を伝えています。
昭和17年の丸三鶴屋の新聞広告を見ると、2月特選雛人形売出し、3月新学年用品売出し、4月武者人形、6月市民運動会お支度売出しを実施し3日間夜間営業をしています。8月季節品の奉仕売出し、9月秋冬呉服新柄入荷と簡易婚礼式服陳列会など市民生活に必要な季節と催事に対応した商品情報を伝えると同時に慰問品売出し、空の軍神「加藤少将写真展」など戦時下の意識の高揚を図る催事が開催されています。
丸三鶴屋は、昭和17年2月1日に衣料品の総合切符制が実施され百貨店も衣料品の配給所になり、食器、タオルなど生活実用品が主要取扱商品でしたが、広告を見ると市民生活に欠く事の出来ない商揃えに努力をしています。広告の中に、「久方振りに呉服雑貨の格安品を集めて奉仕」「要る方も要らない方も一度は御覧じてお徳な内容です」と仕入れの苦労を訴えています。
配給制時代の丸三鶴屋の広告は、戦時の北大通り商店街と市民生活苦悩の記憶です。




