伝えたい「蔵」の記憶(191)錦町市場
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.11.7
釧路の発展を支えた漁業は、漁場が沿岸から沖合、沖合から遠洋へと転じますが、鮮魚の流通を支える魚卸売市場も昭和初期に新しい時代を迎えます。
釧路の魚卸売市場は、明治41年11月3日水印株式会社釧路魚采市場が釧路、旭川、札幌、函館間の鉄道の開通を契機として西幣舞に開設し、鮮魚出荷地と地元消費者に対する供給を目指します。次いで同43年株式会社共立魚菜市場が入舟町に開設されますが、其の後釧路三鱗株式会社を経て大正14年三ッ鱗株式会社共同魚菜市場へ受け継がれます。
昭和9年三ッ鱗株式会社共同魚菜市場は、錦町の水印株式会社釧路魚菜市場を合併し同11年錦町支場、同12年嵯峨漁港に魚市場施設を新設。入舟町市場を廃止し、鮮魚流通の中核施設が橋南橋から北地区へ移ります。

写真は、昭和11年錦町岸壁に新築された錦町市場と発動機船が係留する錦町岸壁です。新築の経緯は、同3年近代都市をイメージする幣舞橋が完成しますが、北橋詰は腐朽の激しい魚市場と飛行機長屋と呼ばれる汚い魚屋集団が並んで都心にあるのが見苦しいという指摘があったからです。「昭和11年の天皇行幸と錦町岸壁埋立の完成もあり新築した」と釧路魚河岸物語に記載されています。
錦町市場の完成は、壮麗な幣舞橋と望楼のある消防本部と、全国から集まった数百隻の発動機船が係留された壮観な河岸の光景、早朝の市場開場の活気と勇ましい掛け声が飛び交う賑わいの光景を誕生させます。釧路市民に感動と活力を与え、釧路の中心地市街地活況の新しい記憶を創造します。




