その他 蔵の記憶
公開:2026/03/06 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(162)釧路川治水と西幣舞

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.3.28

 釧路市街地は、大正9年8月の釧路川の大洪水により鉄道の不通、釧路市街地の浸水、港が流下された土砂で埋まるなど甚大な被害を受けます。釧路川の氾濫を契機として大正10より昭和12年に至る大規模な釧路川治水計画が実施されます。

 工事は、釧路川を岩保木から分流して、新水路112㌔㍍を掘削して直流させ海に注がせます(現新釧路川)。工事の目的は、釧路市と鳥取町一帯の冠水、水害の防止と、釧路港内に流入する土砂年間6万立方㍍の港外への誘導、新水路は沿岸一帯1万2千㌶の荒地を開発することが大工事の三大眼目でした。(釧路市史)

 新水路の掘削工事は、「泥炭湿地にして夏季は未だ人馬の入ったこともない魔の草原地帯なりしを以て此の工事を如何として施行するやは頗(すこぶ)る難問題であった」、と報道される難工事でした。昭和2年8月14釧路新聞は、「三大目的を有する釧路川治水工事は順調に進行し、一部通水が昭和5年10月は排水溝開鑿(かいさく)により乾燥利用が確実」などの工事状況を機械開鑿と上流の治水竣工の写真で詳細に報道しています。

 未知の湿地を開鑿する釧路川治水工事は、自然へ挑戦する活力と夢の実現を目指す先人の思いを記憶しています。

岩保木水門

 写真は、昭和6年8月と刻まれた岩保木水門です、昭和6年9月19日盛大な通水式が挙行され9月20が釧網線全通式の日で、水門は、釧路の新時代への記憶を伝えます。

 釧路川治水は、釧路川右岸の橋北が活況呈する中心市街地になる要因となり釧路躍進を支えます。

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