伝えたい「蔵」の記憶(108)頓化の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2014.12.8
釧路の黎明期は、鳥取士族の移住、釧路集治監の開庁、大田村の屯田兵により未開地の開拓が始まり、港、水運を備え、開拓の要の役割を果たします。釧路川右岸の阿寒川沿いに入植した鳥取士族の移住は、道東の拠点都市に成長する釧路の街に多くの記憶を残しています。
鳥取士族は、明治17年41戸207名、同18年64戸306名が移住します、鳥取士族移住の最初の一歩が人家が疎らな砂丘の広がる頓化(とんけし)でした。鳥取士族が頓化海岸に上陸の様子を伝える絵図が鳥取町史に掲載されています。絵図は、沖に停泊した本船から小舟で上陸をした鳥取士族の移住者を、釧路村惣代張江豊吉ほか有志が船まで出迎えお世話をしています。
上陸して見ると、おおよそ覚悟していたものの、海岸に三、四十の家が立ち並び、上の方にはアイヌの小さな小屋が散点している、「其餘は目も届かぬ茫々とした原野‥」と、上陸当時の頓化の様子と開拓への不安な気持ちを語っています(鳥取町史)。村の名前は故郷の鳥取に決め、計画された未開の入植地の開拓への挑戦が始まります。
鳥取士族が移住した当時の釧路は、明治18年に釧路郡役所が新築落成、西幣舞に正方形の区画測量の実施など次代への施策が始められていました。統計はありませんが、当時の釧路村の人口が2000人位の頃に突然釧路川右岸の西幣舞の西側に513人の村誕生と、未開の原野の開拓に取り組む鳥取士族の活力は、黎明期の釧路の街に夢と活力を与えています。
頓化の浜での鳥取士族移住は、道東の拠点都市釧路誕生の要因の一つです。





