その他 蔵の記憶
公開:2026/03/02 更新:2026/03/30

伝えたい「蔵」の記憶(44)幣舞町

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2013.7.8

 釧路の黎明期の明治5年に釧路郡の中に、イカリ(碇)、ヌサマイ(幣舞)、ウラリマイ(浦離舞)、オダイト(苧足糸)、オニップ(鬼呼)、イヨトロ(寄戸)の集落からなる釧路村が置かれた。村内の集落の名前は集落の様子を伝えるアイヌ語ですが、その中に幣舞があります。

 その後、釧路の市街地の拡大により真砂町、幣舞町、洲崎町、浦見町、茂尻矢などの町名が誕生します。命名された町名は、先人の思いを伝え、幣舞町、茂尻矢、頓化、別途前などのアイヌ語の地名も採用されていました。昭和7年の町名地番改正によりアイヌ語町名はほとんど消えましたが、幣舞町は残りました。

 昭和11年発行の「釧路郷土史考」の幣舞町命名理由によりますと、幣舞町には明治30年ごろまでは竪穴の完全なるもの多数ありしも、概ね破壊して現今ほどんどその形見ず、久寿里酋長メンカクシ居住せし所にして、市役所の前に土人のカムイを祀れる所あり、常に木幣(イナウ)を挿して土人これを崇拝し、これにより開拓使の時夷語「ノサウシ」を改め、命名したる由緒を尊重し幣舞町と称す、と記載されています。

幣舞町の由来がまとめられている「釧路郷土史考」

 昭和7年の町名地番改正時に、釧路の先史時代を伝え、先人のアイヌ民族の記憶を伝える丘陵に、アイヌ語の町名「幣舞」を残し、先人の記憶を受け継ぎました。幣舞町は釧路の黎明期から行政の中心地として市民生活を支え、今も市民の生活文化を支える施設の中心地として幣舞の記憶を伝えています。幣舞町は釧路で最古の由緒ある町名です。

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